・・・直木賞を狙う!?エッセイ集・・・


アニメですその25・「 休日の過ごし方 」

(16,9.18)

*一生懸命お仕事するには、一生懸命遊ぶ必要があります*


 かつたろうは月3日お休みがあります。平日に当たることが多いのでそのときは一人で気分のおもねくまま気ままに遊びに出かけます。日曜に当たると奥さんや子供たちもお休みなので、意見合えば一緒に出かけたりもします。 きのうは平日だったので、かねてからの予定通り、「久しぶりに行ってみたかったらーめん店」→「ボウリング4ゲーム」→「新しく出来た日帰り温泉施設」→「自宅に帰ってビデオ鑑賞」という予定をこなしました。 すこし暑さも収まってきたのでこれからは「温泉めぐり」が続きそうです。お気に入りが5箇所あるので順番に行っても2ヶ月に1回になります。だいたい30分ぐらいしかいませんが疲れを休めるには非常によいです。いずれも車で1時間以内、500円前後 のところばかりなので、時間もとられずお金もかからず助かっています。 

その24・「 ドラマ「白い巨塔」と人生論 」

(15,11.19)

*自分では決意した生き方が出来ているような気がしていますが*


 現在フジテレビ系列でドラマの名作「白い巨塔」が現在に置き換えられて再演されています。人気の俳優さん女優さんがそう出演していますね。

 「白い巨塔」を初めて見たのは再放送の時で27歳の時だったと思います。(16年ほど前)当時は故田宮次郎さんの演じる「財前教授」がとても魅力的と話題になっていて自分でもはまり役だなと思ってみていた記憶があります。
   さて、そんな私がこのドラマの中で一番印象に残ったのが、里見助教授ではなく、当時は加藤嘉さん演じた「大河内教授」でした。管理人のページにも書いていますが、自分の意思を全うするためには賄賂にもしがらみにもとらわれず、毅然とした行動をする姿に「ステキだ!理想的だ!」 と思ったわけです。それまでも「自分というもの」を持っていたかつたろうですが、それからは相手が誰でも自分の思ったことはハッキリ発言し、義理や人情も大切にしながら場合によっては義理や人情も捨てさる覚悟も持ち合わせた「かつたろう」という人格が出来上がってきた気がします。
妻の話でも夫評は「頑固で固い」「融通が利かない」「自分が一番大事」「私とは合わないけど良いところもある」 と評判もまずまず?です。なんといっても「一人でいてもとりあえずは大丈夫」という自信(過信?)がある程度もてていることが大きいですね。20年近くたった今、今回のドラマも楽しみに見守っていきたいと思っています。(ごひいきの西田尚美や木村多江が出ているのもとってもうれしい)  

その23・「 遠距離恋愛・必勝法 」

(14,11.22)

*本当は一つ屋根の下で生活するのがベストですが*


 秋の夜長の恋愛論第3弾は遠恋です。

 じつは私は過去3回ほど遠恋を経験して3回とも地元勢にやられました。ですから「必勝法」など語る資格はないのですが、もう一度、近くに住めるまでの期間なんとか恋愛を継続するために「教訓」なども交えてお話してみたいと思います。
   まず、基本的に愛し合っている・好きあっている二人は「一緒に生活すること、近くで生活することがやっぱり望ましい」と思います。しかしいろいろな理由で離れ離れになってしまうことも実際の生活ではたびたび起こります。そんな時 どんなお付き合いをしたらいいのでしょうか?

 (1)相手が何を考えているかわからなくなるのが一番辛い。
まず最初に「遠恋」の定義として、「夜どんなにタクシーを飛ばしても6時間以内に会えない」距離関係とします。2時間ぐらいの距離だったら飛んでいって会っちゃいますよね。
 お互い近くにいると会いたい時会えますよね。少なくても週一では会えるでしょうか。遠恋になるとまず、ここが不可能になります。社会人なら週一ぐらいは可能かもしれませんが、学生のときなどは会うのにもお金が掛かるため(電車代・飛行機代)そのためのアルバイトもしなければなりませんから、私の場合は2ヶ月に一度ぐらいがやっとでした。
近くにいると、会ったときにする「会話」の内容も重要ですが、なんといっても話をするときの表情・しぐさ目の輝き・雰囲気などで相手の状況を知ることが出来るし無意識のうちに「一緒にいられる幸せさ」を 感じているんだと思います。ところが遠恋になるとコミュニケーションの方法が限られてきます。私が学生のころは部屋に電話もなかったので(もちろん携帯電話などない時代)時々100円玉を握り締めて公衆電話に通ったり(これがまた使用中だったりしてやきもきするんです)手紙・はがきといった手段しか取れませんでした。相手から電話が来そうな日は電話の前で正座して座っていたぐらいです。(バカだね)手紙は最短で週一ぐらいでやり取りしていましたがそこそこの内容のものを書き上げるにはやっぱり1時間強の時間が掛かるのでなかなか 大変でした。でもあとで読み返すことが出来るって点はとっても良かったです。

電話は「相手を感じる」手段としては有効だし、(なにしろ生の声が聞こえるんですから!)ある程度相手の状況のニュアンスは伝わります。しかしお金が掛かりますね。今の時代のように「メール」があればまた結果は違っていたのかなって思ってしまいます。さて、コミュニケーションのとき何に気をつけたかというと、私としては、ただでさえ距離的に離れていたため「今何をしているのかな?」「今何を考えているのかな?」ってことが夜寝る前などによく頭に浮かんできたし知りたいって思いました。それで「自分が今何を考えているか、何をしているか、何をしたいと思っているのか」はなるべくわかりやすく伝えようって心掛けていました。 何気ない今日の出来事や面白いと思った話なども無駄なものではないのです。「相手の姿が見えなくなる」ことが一番離れていると不安だったからです。

 (2)会いたい気持ちをいかにして我慢するか
 私は遠恋になってすぐ彼女の写真を部屋に置きオープンにしていました。(ちょっと勇気は要った)だから現地では確信犯以外は防ぐ効果もあったし(それはそれで今考えるともったいなかったかな?)心の安らぎにもなりました。いったい何百回、写真とお話したでしょうか?しかし一年のうち何回か、突然「一人でいるのが耐えられない気持ち」に教われることがありました。私の場合は年数回の程度でしたが、この周期が短い人は遠恋は難しいでしょうね。

さて、そういう時は可能なら休みの日に会いに行っちゃえば いいのですが、そうも出来ないときは2つの方法を採りました。一つ目は「人ごみに身をおく」方法です。周りに誰かいることでいくらか楽になりました。眠たくなるまでそうしておいて帰ってきたら寝るだけです。もう一つはGFとデートしてもらうことです。これは浮気にあたるか微妙なところですが、私の場合は同じ境遇にある女性に頼んでよく映画を見に行ったり遊んでもらいました。これも自分の気持ちがゆるぎないときでないと結構危険かもしれませんね。あと、電話は そのときは良いんですが、切った後余計会いたくなっちゃうことが多かったので余りお勧めは出来ません。それよりも手紙を書きまくることの方が心が晴れました。「人恋しくなる」・・・人間なんだから当然ですよね。

 (3)離れていると如何とも仕様がないもの・・それはぬくもり
突っ込んだ話になりますが、遠恋が終わるか終わらないかの瀬戸際はこれじゃないでしょうか。「ぬくもりが欲しくなったとき、耐えられるか耐えられないか」とっても分かれ道ですね。やっぱり「一人暮らし」は寂しいものです。ぬくもりにも二種類あります。「心のぬくもり」と「身体のぬくもり」です。このうち心のぬくもりは会っている時に充電可能でした。ただしけんかをした後や、彼女の気持ちが見えなくなったときは耐えられなくなる事もあるかもしれません。

「身体のぬくもり」は厄介ですね。 「一人寝が耐えられない」って気持ちは大人になるまでわかりませんでしたね。「代用品」が効く時はいいですがそうでない時は辛いです。遊び人の男性はこういう気持ちでいる女性を見抜く能力が高く、とってもうまくその隙をつき入り込んでしまいます。これは人間の本能に訴えてきているやり方なので隙を見せないのは生半可の覚悟じゃ出来ないかもしれませんね。もちろん男性ならこういうときに一番浮気に走りがちです。
「好きな人と、今、一緒に居たいのにいてくれない!」っていう相手を求める自分の気持ちと正面から対決する時間はとってもつらく寂しいものです。でもここを乗り越えないと遠恋は終わってしまうのです。

 (結論)遠恋は期間を決めよう!
 人間いつまで待てばいいのかわからないと普通の人なら待つことは出来ません。(多分)でも「2年間」とか「4年間」とか期間を決めておけば目標が出来その目標のために誘惑にも負けないでいられるかもしれません。何度も言いますがやっぱり遠く離れている状態は「異常」です。一日も早く一緒にいられるようになった方が良いに決まってます。そのためにも最近はカメラ付き携帯やビデオカメラなどもあるのでフルに利用して、遠くにいる相手のことを、そして自分の気持ちを見失わないことが 遠恋期間を無事過ごす必勝法になるのかな?って思います。遠恋で結ばれたことがなかった私のためにもなんとか乗り切って欲しいです。

<付録>一緒になったけどこんなはずでは・・・
老婆心ながら遠恋を乗り切って一緒に暮らせるようになったけど・・ってことでワンポイントアドバイス!実は離れていた方が良かったことも多いのですよ!たとえば「自分ひとりの時間が好きなだけ持てます」「自分の好きなように行動できます」「別の異性とも接触できます(微妙な言い方だなあ)」「好きなだけ眠れます・好きな時間に起きれます」「いびきがうるさくありません」「TVのチャンネル争いもありません」「友達お自由に部屋に呼べます」「ゆっくりお風呂に入れます」などなど
 一人暮らしが長くなると、2人で暮らすには乗り越えなくてはならない山もあることをお忘れなきように!特に「一人になりたい時間」ってのは曲者ですよ。    2002、11.22


その22・「 別れを告げてわかったこと 」

(14,11.4)

*自分の気持ちは結局、自分で決着をつけるしかないんです*


 バランスをとるために今度は「振った」時の話です。

 今日までの人生で数は少ないですが、お相手からの申し出を断ったこともありました。なかでも印象に残っているのは学生のときと、30才になってからのものです。
 学生のときは彼女からのアプローチでした。でも、この頃は「まあ、現地に彼女が一人ぐらいいてもいいか」ぐらいの気持ちでいました。 ある日のデート、その時はたまたま待ち合わせ場所で会うことが出来なくて、しょうがないので自分のアパートに帰って来ました。(今のように携帯電話なんかない時代です)そのとき丁度「夢遊病者のようにふらふらと」坂道を登ってくる女性の姿が目に入りました。彼女でした。驚いて声をかけたんですが、その時目にした彼女の余りに痛々しい姿が目に焼きつきました。「彼女は本気なんだ、私も まじめに考えなければいけない」と思いました。でも、彼女へ気持ちが動かないでいることも気づいていました。当時はまだ、勇気がなかったので手紙でお断りの気持ちを伝えました。このときは「お付き合い」の重さを経験させられました。

 次はお見合いパーティで会った彼女です。わたしもこの当時は結婚相手を探す意識があったので、「付き合い=結婚を前提」と思っていました。その時のパーティでカップルになった彼女とは同い年で、私の方から声をかけました。それから交際が始まりスキーに行ったりドライブしたり、夜デート後に車の中で話しをしたり楽しんでいました。
以前、「キスもしてくれない」って一ヶ月ぐらい付き合った時女性から言われたことがあったので、自分の気持ちの高まりとともに行動に移していかなければとも思っていました。しかし、どうも高まってこないのです。結婚を前提に交際していて、別に嫌いなところもなくどちらかといえば「充分好き」と言えたのですが、どうにも進展してこなかったのです。このままでは彼女にも悪い と思った私は「きっかけ」を作ることにしました。今から考えるとモラルに欠けるものだったと思いますが、心に引っかかっていた「1年前にアプローチして断られた当時の意中の女性にもう一度アタックして、また断られたら今の彼女にプロポーズしよう」というものでした。今考えると全くまともな考えではありませんがとにかく結婚に向けて一歩踏み出すきっかけが欲しかったんです。そんなに彼女を待たせられないとも 思っていましたし。

ところがなんと今度は思いを切ろうって思ってアタックした彼女から「OK」が出てしまったのです。予想外の結果に自分自身ビックリしました。混乱しました。ここから心ならずも二股が始まりました。そのときの自分の気持ちは、どうしたらいいものかわからなくなっていました。しかし2ヶ月ほどたってクリスマスがやってきました。当然クリスマスは彼女とお祝いしたいと思っていました。でも同時に 2人の女性とクリスマスイブを楽しむことは出来ません。このとき無意識のうちに23日はだれ、24日はだれと考えている自分に気がつきました。「そうなんだ」自分のなかで一番大切に思っていたクリスマスイブ、24日に会いたいと思った人が自分が求めていた人なんじゃないか?って気がついたのです。ここまでに2ヶ月掛かってしまいました。さあ、自分の気持ちがわかったからには結論を 伝えなければなりません。しかし「本命」と思った彼女と後にうまく行く保証もありません。でも「さよならを告げなくてはいけない」って思えたんです。年末のある日、パーティで会った彼女にすべてを話し別れを告げました。いつものように夜の車の中です。女性に泣かれたのはこのときが初めてだったかな。心底彼女には悪い事をしたと思いました。でも以前振られた時の自分自身の経験から「お付き合いの終わりは、できるだけ正確に、正直に気持ちを告げてもらった方が 立ち直りも早かった」ということを学んでいたので、このときは計算も駆け引きもなく素直にすべてを伝えたんです。そして「一つの大切なものを手に入れるときは、同時に同じくらい大切なものをなくしているのかもしれない」って感じました。はじめて「振ったほうも辛いんだ」ってことを学びました。でも自分の心情として、相手のことを考えたら「フェイドアウトするより、けじめをつけたほうがいい」それが一時期でも心を通わせた女性に対する礼儀かなって思ったんです。

 今改めて当時のことを考えると、別れを告げた後、恨み言葉一つもいわずに私の前から姿を消した彼女が「いまも元気でいるのかなあ」なんて思ったりしてしまいます。さよならを告げた後、きれいに別れてくれた女性のことはかえって良い思い出として思い出すものです。彼女はどうやって「好き!」って気持ちに決着をつけたのだろう?一緒にはなれなかったけど尊敬の念すら覚えてしまいます。素敵です。私もそんな素敵な人間になりたいなって思います。


その21・「 好きで好きでたまらない! 」

(14,10.22)

*恋愛の苦しみ(失恋編)*


 たまには「恋愛論」でもどうかな。好きな人に選んでもらえなかった悲しみ。辛いですね。

 結婚が決まったとき、一番初めに思ったことは「ああ、これでやっと恋愛の苦しみから解放される。これからはそれに費やした時間を他の事に使える」ってことだった。「やっと心の平安が訪れる」ってホントにほっとしたことを今でもよく覚えている。惚れっぽい かつたろうは、恋愛=苦しいものといった印象が強い。

 外見からは何事にも割り切りがよく、クールでいつも冷静に状況を分析していると思われているかつたろうだが、自分自身その通りだと思っていた。ところが29歳のときの恋愛は「自分の知らなかった自分」に気づかさせてくれるほど印象の強いものだった。

   それまでも何人かの女性とのお付き合いを曲がりなりにも経験し、振った振られたも人並みぐらいには語れるかなと思っていた。さて、そのとき先輩の紹介で現れた彼女は「女性を顔で選ぶタイプ」のかつたろうとしては、さほど好みのタイプではなかった。しかしだんだん付き合っているうちに 彼女の奔放さに振り回され、冒険もし、ふと気づいたら「好きで好きでたまらなく」なっていた。「大好き」より激しく、「愛している」ほどは落ち着いていない状態、それが「好きで好きでたまらない!」状態だ。自分としてもこういう心理状態 は初めての経験だった。いつも冷静さを失わない自分が冷静でいられない。一生懸命悩んで決めたことが翌日には色あせて見える。彼女からの電話がことのほかうれしい。これが常識・理屈の通用しない「恋愛状態」だ。普通の状態での判断力が通用しない こういう自分がいることを始めて知った。そしてなんとかこの恋愛を実らそうとすべてに優先して行動する自分をみて、「おれって実は情熱家だったんだ」と気づかされもした。

 結局この恋愛は実らなかったのだが、失恋した後の「苦しみ」も半端じゃなかった。「好きで好きでたまらない」のに別れなければならない。彼女を嫌いになれたらどんなに楽だっただろう。それまでの恋愛でも、振られた後どうしても吹っ切れず思い出を琵琶湖にすべて捨てに行ったこともあった私だが、このときは胸が痛く、仕事に支障が出るほど 何事にもやる気が出なかった。心臓の鼓動は早く、なんとか胸の痛みを抑えて一日一日をやり過ごすので精一杯だった。また、立ち直った後仲間に「ダイエットには失恋が一番」って言いまわるほどやせた。それはそうだ食欲も無く、夜も細切れにしか眠れなかった のだから。夜中に目が覚めて朝方まで眠れない日が続いた。一日一日がものすごくゆっくり過ぎた。夜一人になるのが怖くてわざわざ人ごみの中に出かけて気を紛らわせた。9月下旬の失恋だったので秋はとてもつらかった。「物思う秋」に失恋を振り返っているのはとっても辛い。そして何よりもそのあとにもっと暗い冬が待っているのが辛さを際立たせた。

 このエッセイを書くにあたってそのときの日記を読み直してみたが、まわりの人を巻き込んで相当迷惑をかけている。今までのガールフレンドを総動員して今の心情をつづった手紙を出し、相談に乗ってもらったり、なんとかこの苦しさから逃れるがために、必死で「新しい彼女」を作ろうとまでしていた。 夜中に話を聞いてくれた親友も忘れられない。 過去のラブレターももう一度全部読み直した。なんとか自分に自信が持ちたかったのだ。あがいてでもなんとかこの苦しみから抜けだしたかったのだ。このとき立ち直りのきっかけになったのは、偶然、かつたろうを振った彼女を喫茶店で見かけ、彼女もボロボロだったのを見た時だ。「苦しいのは振られたほうだけじゃないんだ」「彼女もあんなにボロボロになるまで悩んでやっと決めた結論だったんだ」 そう思ったとき「自分だけ苦しい苦しいと甘えていてはだめだ」って思えた。そして今思うと結局は「時間」が立ち直りの一番の薬だったように思う。でもこいつ、効き方がものすごくユックリなんだよな。それにかつたろうを必要として店に来てくれたお客さんの存在も忘れられない。「こんな私に頼ってくれる人がいたんだ!」

 しかし今、この苦しみを経験してよかったと思う。一度しかない人生、内容が濃いほうが面白い。それにこの失恋経験のおかげでちょっとだけ人に優しくなれたとも思う。こうやって肯定的に思えるのも、自分の生き方のモットーだった「自分の気持ちに うそはつかない」ってことを真っ当出来たからだと思う。なんとか恋を実らせようと、考えられるだけの努力をした結果だったからかもしれない。「燃えるような恋」が出来たからかもしれない。でもこの生き方、他人に迷惑もかけるんだけどね。(反省してます)
 「好きで好きでたまらなかった」あの時。失恋の話だけど今はこんなに誇りを持っていえる。


その20・「 胃カメラ初体験 」

(14,2.7)

*やっぱし苦しい*


 昨年の人間ドックで「胃のレントゲン写真にもやもやがある」ということで再検査となりました。再検査は「胃カメラ」です。うわさでは「酔っ払って吐きたいけど吐けない苦しさ」とか
「出産の早く赤ちゃんに出てってと叫びたいのと同じ苦しみ」などと聞いていたもんで結構びびっていました。当日は9時半検査開始だったので、前日の夜9時以降は何も食べられないし何も飲めません。
おかげで「お腹がなる」ということを久しぶりに体験できました。

 さて検査の話に戻って、当日検査室の待合室に行くとなんと6人もすでに待っています。いったい何時に終わるのか?でも先生が3人で(事前に決まっている)検査をしていたようで30分ほどして呼ばれました。
ただ、30分の待ち時間も長いので母のアドバイスどおり「本」を持っていったのは時間つぶしに最適でした。
おかげで待ち時間も長いと感じませんでした。それにしても感動したのは前日から水分は一切取っていないのにおしっこが朝から3回もちゃんと出たこと。人間の体はホントに水分が多いんだなと実感しました。
 呼ばれた後は「本人の確認」として手首に自分の名前を書いたバンドをしました。違う人と間違えられたら困るもんね。次に10CCほどの薬を飲んで右の腕肩近くに注射。ほどなく検査室の中に入りました。

 検査室の中では上着だけ脱いで左手を下にして別途に横向けに寝ます。看護婦さんが「緊張しないで体の力を抜いてくださいね」とアドバイスします。そして噴霧器のようなもので苦い「麻酔」をシュっと口の中に入れました。
しばらくすると喉の周辺の感覚がなくなってきて麻酔が効いてきたのを実感します。
 胃カメラは「キラキラ光る花火」のようでした。あんなキラキラするもの体に入れて大丈夫かなとふと思いました。マウスピースをはめていよいよ挿入です。「ふっとため息をついてください」
との先生の指示でため息をつくとうまく喉を通ったようです。すると入る入る「まだかよ!」というぐらいコードが口の中に入って行った気がしました。胃まで入るのですから20センチぐらいでしょうかね?
検査は水で胃を洗いながら何回か写真を取りました。きっと5分も経っていないのでしょうが、覚悟をしていたけど結構つらかったです。特に胃の中でカメラが回るとき胃の壁に感触があって変な感じでした。
「痛い」とか「吐きっぽい」とか「気持ち悪い」といった具体的な感覚ではありませんでしたが、やはり「異物挿入」の「早く終わんないかなあ」といった感覚でした。先生の「もうちょっとで終わりですよ」
の一言でやっと救われた気がしました。
 ただ、終了した後「初めてにしては上手だった」とほめられてのは事前にインターネットで予習しておいたおかげか、うれしかったです。予習というのは「胃の中に食べ物などが残っているとそれを洗い流す
手間がかかるため時間がかかる」というものでした。

 結果は終了後すぐに写真を見ながら(4枚でした)先生が解説してくれました。素人ながらに結構キレイな胃の壁の写真だったように思いました。おかげさまで結果は「異常なし」でした。ふー。ついでに先生に
「来年はバリウムでいいですかね?」と聞いてみたところ、「もちろん異常があったらまた胃カメラになりますが、ドックはバリウムでいいでしょう」とのことでした。
 会計(4200円)を済ませて病院を後にしたのが10時40分。かかった時間は1時間ちょっとでした。これでお酒の席での話題が一つ増えました。
 


その19・「 歳をとったなあと思うとき 」

(13,12.16)

*40年物だもの*


 アイドルの顔がわからない。(モー娘。)最近では「浜崎あゆみ」と「安西ひろこ」の区別ができなかった。また「井川遥」と「畑野浩子」も間違えてしまう。昔はそんなことはなかったはずだが。まして、女性が区別できないなんて。
 生活上で一番困ったのは、「CDが見つけ出せなくなった」ということだ。中学生時代から洋楽主義だったかつたろうは、横文字も難なく探していた。ところが外資系のショップになってからが見つけ出せない。たしかに「曲名」も昔は「邦題」が付いていたんだけど、最近は原題そのままが多い。英語はいまいち得意ではないため、店に行っても結局見つからないで帰ってくる羽目になる。(ちなみに、かつたろうは店員さんにあまり助けを求めない性質) そこで最近重宝しているのが、インターネットショッピング。これだと曲探しに「検索」が使用できるので、ちゃんと欲しい曲目に到達できる。送料がかかるのが欠点だが、出かけなくても良いので便利に使わせてもらっている。
若いころはなんでもなかったことが歳をとるとできなくなってくるとは新鮮な感動ですね。


その18・「 むすめの願い 」

(13,8.31)

*我が子に教えられること*


 8月のお盆にはかつたろう家では伝統的に家族全員でお墓参りに行きます。(これって普通か)今年も例年通りに6人で行ったのですが、先祖代々のお墓に着くと、4才になった娘も数珠を手に何かお参りしていました。そこで私は「何をお願いしたのかな?」と聞いてみると「たーたん(私のこと)とママがいなくなりませんように」ってお願いしたんだよと言われました。そのとき改めて、娘にとって奥さんだけでなく、私もなくてはならない 存在なのだなと気づかされました。(少しうれしく、少し照れる)その日から健康に気をつけ(朝のラジオ体操開始!)「もういなくなっても良い」と言われるまでは元気でいようと心に誓ったのでした。 


その17・「 商店街の行方 」

(13,4.24)

*消費者は本当に勝ったのか?*


 私の住んでいる長野市は昨年2つの大型店が消えた。廃墟となったようなその光景を見て頭に浮かんできたことがある。私は商店を経営しているが一歩外に出れば普通の消費者と変わらない。ただ、ちょっと違うかもしれない点は「なるべく商店街で買い物をする」 事を心がけている点かもしれない。最近はどこの街でも郊外に「安売り店」ができている。消費者は商店街の店で買い物をするよりも「安い」「一辺で買い物が済む」「駐車場が広い」から自動車を運転して郊外店に買い物に出かける。そして商店街で買い物をするより「安く」買い物ができて、得をしたような気になるだろう。しかし、そうすると商店街の店はお客が減ってしまって 閉店するところも出てきてしまう。その結果「歯抜け状態」となりますます人通りが少なくなってしまうということになる。ところが20年もすると郊外店の近くにもっと大きな、より安い大型店が進出してきたりする。すると消費者は今度はまたその新しい店に行ってしまうようになる。 その結果最初の郊外店はお客が減って「閉店」となってしまうのだ。全国チェーンの店なら「地域に根付く」とかいっていても「赤字」になればいくら本部に「陳情」しても閉店してしまうということをようやく我々も学びつつある。そしてまた20年たち・・・と同じ事が繰り返されていくわけだ。 しかし、そのうちに若かった消費者も歳を取り、行動範囲も狭くなってくる。歩くのが不自由になったり、視力が落ちて車を運転できなくなるかもしれない。しかしそのころには住まいの近所には「商店街など」存在しなくなっているのだ。これは商店そのものの努力不足ももちろんあるだろうが、商店街で買い物をしなかった消費者自身にも責任はあるはずだ。そうなったらその街は「住み易い」と言えるだろうか? そうならないためにも「商店街を鍛えて欲しいと思う」大型店と商店街をうまく使い分けて欲しいと思う。今の商店の2代目たちは他にいろいろ選択肢があった中でわざわざ店を継いでいる人たちだ。それなりに打てば響くものを持っていると思う。だから消費者は商店街を消失させないためにも商店に行き何を売っているかを知り、終いにはその店を 自分の欲しいものがある店に変えていくようにしていったらいいと思う。20年間安い買い物で得をした以上に自分の住んでいる町を魅力のないものにしてしまうという、とりかえしのつかない失敗をしないためにも。   2001、4.25


その16・「 身に覚えのない国際電話代 」

(13,3.4)

*インターネットの恐い点*


 ショックなことがありました。 「身に覚えのない国際電話代の請求書」が来たのです。そうです、インターネットでHP閲覧中に、国際電話に掛けられてしまったのです。かつたろうは、そういうこと にはわりと神経を使って気をつけてきただけにショックでした。どうやらアダルトページ?を見ていたら、(お恥ずかしい)自動的に今までつながっていた電話回線(市内のアクセスポイント)が 自動的に切断されて、そのHPに隠されていたプログラムで我が家の電話が「セントヘレナ島(何処だ?)」に国際電話をかけさせられ、どこかのプロバイダーにつながれHPの続 きを見ていたらしいのです。マイPCはモデムの調子が悪く、よく回線を切断されるので、今回のことに気づきませんでした。もちろん、「このボタンを押すと国際電話にかかります」 などというボタンは押していないし、よくあるプログラムなどのダウンロードもした覚えはありません。金額は1時間で1.5万円。この件をどうしたものかと、国民生活センター、その請求書発行のIDCとそれぞ れに電話で聞いてみましたが、どうやらお金は支払わなくてはならないようです。同じような例でダイヤルQ2につながってしまうタイプは「支払い拒否」ができるみたいですが、国際電話は、電話会社も「善意の第三者」なので支払はなくてはいけな いようなのです。さらに問題は、どのページでつながったかわからないことです。ぼーっとしてたらまた同じ目にあってしまいそうです。かつたろうはそれで「TELガード」という モデムが電話を掛けるときは、いちいち表示させるソフトを常駐させることにしました。(nifty提供)
 長野県警のHPを見たら最近このようなことが多い旨書いてありました。どうやらアダルトページ、懸賞のページ、アイドルのページ風なページなどで被害がでているようです。
 お金の問題と、「自分は大丈夫」と思っていたプライドで、えらいショックです。でもなんか手を打たないと次々に同じ目に遭う人は増えるだろうな。インターネットの恐 い点ですね。        2001,3.4


その15・「 第73回センバツ高校野球代表校選出結果の感想 」

(13,2.3)

*例年との違い*


 今年も1月31日に、第73回選抜高校野球大会の代表校34校が発表されました。今年度は初めて21世紀枠として新たに2校が選出されたことが特色として上げられます。
今回の選出結果を見ていきましょう。21世紀枠は良いことだと思いますが、先に選出された候補9校のうちなぜ今回の2校が選ばれたかにどうしても疑問が残ります。 客観的な選出でなくかなり主観的な選出になっているからではないでしょうか。また、伝統校に有利なようなニュアンスが気になります。今後の課題でしょう。
一方通常選出の32校は、例年に比べかなりわかりやすく選ばれました。<東北>史上初めて同一県から2校選出されました。これは今までの「地域性」より「決勝戦進出」という実績が評価されるようになった変化だと思います。<関東>茨城県から準決勝進出の三校が選ばれたことが特筆されます。これも地域性より地区大会の結果が重要視されたためと思います。<九州> 準決勝でノーヒットノーランのコールド負けを喫した「鳥栖」が選出されました。しかも佐賀県2校目です。これも上位進出の実績優先ということでしょう。
<東海>予想が2分された「東邦」と「中京大中京」も地区大会で善戦した東邦が、愛知県大会決勝で東邦を破った中京大中京を抑えて選出されました。地区大会の結果優先の良い例でしょう。<近畿>実力では有利といわれた「大阪桐蔭」は選に漏れました。この例のみがやや異質ですが同じベスト8の中での争いだったので特に番狂わせという気もしませんでした。
以上のように、わかりにくさは全て「21世紀枠」の選出に任せて、通常選出は「地区大会の結果優先」という非常にわかりやすい物差しに統一されたという気がします。あとは大会で21世紀枠の選出2校がどのような戦いをするかが注目されます。    2001,2.3


その14・「 好物は、最初に食べるか、最後に残すか? 」

(12,10.15)

*性格の違いと優先順位*


 あなたは食卓に出たおかず、どういう順番で食べますか?私は「おいしいものは最後にゆっくり食べるタイプ」です。俗に言う「意地きたないタイプ」らしいです。その心は、「好きなものは最後にたのしんで幸せを感じながらのんびり食べたい」 というところでしょうか。
逆に、「好きなものは一番真っ先に食べる」という方がいらっしゃいます。うちの奥様がまさしくこのタイプなのですが、その心は「おいしいものはおなかの一番空いている真っ先、つまり一番おいしく感じられるときに食べたい」というものだそうです。俗に言う「飢えてるタイプ」。 そう言われるとなるほど一理ありますね。ただ、こういう方の欠点としては後に残すタイプの人がせっかく最後に残して置いたものを「食べないのならちょうだい!」と言って食べてしまうという早合点が起こるということでしょう。要するに「キライで残していると思ってしまうらしいのです。 (私も被害経験あり)ただ残すタイプの私も「せっかく揚げたてのエビフライをどうして最後までとって置いて、さめてまずくしてから食べるの?」と問われると、なるほどもったいないことをしているなあと思うのも事実です。ただ、ここにもう一つ「もったいない病」が関わってくると要因はより複雑になってきますが それはまた次回。   2000,10.15 


その13・「 文学ができにくい!? 」

(12,9.24)

*携帯電話の普及*


 昔のドラマは大抵「すれ違い」がストーリーのおおもとになっていた。ところが携帯電話が普及した最近ではだいぶ事情が違ってきている。たとえば待ち合わせで相手が来ないときなど、「ひょっとしたら時間を間違えたかな」とか 「ここにくる間になにか事故にでも遭ったのではないか?」などと心の中は自問自答の嵐になってしまう。そこから「人を思いやる気持ち」なんかが生まれてきたように思えるのだが。ところが最近ではちょっと遅れるとピピピとすぐ 携帯電話で相手にアポを取ることができてしまう。逆に「なんで電源を切ってあったの?」などいままでは考えられなかった詰問を浴びる危険性もはらんでいて、それはそれで新しいドラマを産む可能性もなくはない。
 だいたい世の中が便利になればなるほど「ドラマ性」は逆に少なくなってしまうような気がする。心の琴線を描き出す文学はこれからもちゃんと健在でいくだろうか?


その12・「 男の美学 」

(12,5.25)

*生き方のこだわり*


 中学生のころから「一本筋の通ったものを持っている」とよく言われていた筆者は、哲学書は読まなかったが「青春をどう生きるか?」というたぐいの本はよく読んでいました。そして実生活と考え合わせ高校生 ぐらいで一つのモットーを持っていました。それは「言ったこととやっていることを一致させる」というものでいわゆる「言行一致」というものです。そしてその根底には「そういう人を信頼するし、自分も信頼されたい」 という気持ちがあったと思います。しかしそれは逆に言うとできないことは「NO」と言うということなので、実生活上では「マサツ」がさけられない場合もありました。そのとき周りにいた方々には多大な迷惑をおかけした と思っています。そしてそれを埋めるために「義理と人情」も自然に身につけて言ったように思います。元来割り切りが早く、クールなタイプだった自分が「義理人情」を口にするようになるとは思いませんでした。これが 学校の勉強だけではけっして覚えられない「知恵」の部分なのでしょう。
 さて、社会人になってプラスされたモットーに「素直・プラス発想・勉強」というものがあります。船井総研のモットーと同じですが、これが非常に体質とあっていて合理的に思えたので重宝しています。そして 現在それらをミックスさせた「こだわり」を胸に「信頼される人間」を追求し続けているつもりです。
 ただしこの「こだわり」は奥さんにとってははなはだ迷惑に映るようで、やはり男でないと共感できないようです。


その11・「 SPEEDの解散 」

(12,1.15)

*早い?解散*


 先日NHKでSPEEDの解散に至るまでのドキュメントを放送していました。私は特にファンという程ではありませんでしたが、SPEEDの曲は結構好きな方でした。特に「ステディ」はお気に入りの一曲です。  とにかくSPEEDの曲はサビの部分を歌うHIROの「どうしてこんなに一生懸命、精一杯歌うの?」という印象を受けるボーカルが魅力の1つであったと思います。(ちなみに私は今井絵理子さんがお気に入りでした)
 山口百恵の引退、ピンクレディ・キャンディーズの解散を時代とともに生きてきた私としてはデビューして4年という「早く・若い」解散にビックリしてしまいます。ただ、森君のスマップからの脱退や最近のモーニング娘の入れ替え などを見ていると、「芸能界が頂点ではない」という感覚が最近できつつあるのかなあと感じます。「人気・売れることより自分のしたいこと」という、よく考えれば至極当然の姿がようやく根付きつつあるのかもしれません。 SPEEDの4人はいずれも実力のある女性ばかりなので、今後の活躍を見守りたいと思います。 


その10・「 日本酒利き酒会惜敗 」

(11,11.29)

*日本酒勉強会*


 地元銀行の会で「日本酒利き酒会」があり参加してきました。「利き酒師」の資格を持つ方が講師で、日本酒の製造法(並行複発酵)や今市販されている日本酒の種類など広範囲にわたって教えてもらいました。
 その会のまとめとして5種類の日本酒の利き酒がありました。「大吟醸・純米酒・古酒・佳撰・辛口」の5種類を飲み分けるという趣向です。古酒はやはり1つだけ黄色がかっていたのでだれでもわかったと思います。次に香りは「大吟醸」と「純米酒」 の2本が香りがあるのではないかと考えました。するとちょうど2本、香りが(吟醸香)感じられたので、よりスッキリしていて酸味が弱い方が「大吟醸」だと考えました。そうすると、あと残った2本を「佳撰・辛口」により分ければいいことになります。そこでこの2本を3回飲み比べ、水で口を洗いながら 慎重に違いを分析しました。その結果後味に辛味が残る物とどちらかというと甘口でスッキリした物に分けることができ、前者を「辛口」後者を「佳撰」と決定しました。
しかし結果はその2本のみハズレで「佳撰」と「辛口」が逆でした。5本とも当たった方も2名いたので後ほどお話を伺ったところ「普段飲み慣れている味を佳撰、スッキリ系を辛口とした」とコメントをいただきました。なるほどそう言われてみたら 私もちょうど3日前に他の酒造会社の物ですが「佳撰」を飲んだばっかりで、私が「辛口」と判断した方に味はそっくりでした。反省としてわりと味の分析はできたけど、日本酒を飲み慣れていないハンディが結果となって現れた、といったところでしょうか。   普段はワインを飲んでいる私ですが、日本人である限り「おいしい日本酒」を見つけるのも心がけていきたいと思っています。


その9・「 それは缶コーヒーから始まった 」

(11,11,2)

*食のこだわり*


 ワインのページなどをやっているのでさぞや食べ物にうるさいのでは?と思われるかもしれませんが、妻によると「舌がパー」だそうですので(たとえば「ほんだしのみそ汁」がおいしいとか言う)昔は「うまい・まずい」をかなりはっきり言いましたが、 最近は諸事情から結構言葉を飲み込んでいます。しかし「こだわり」はあるようです。それに初めて気づかされたのは仲間と旅行に行った時でした。のどが渇いたときは缶ジュースを買いますが、私の場合は好きな銘柄がないか探します。当時は「ダイドーの デミタスコーヒーかポッカのコーヒー牛乳」が好みでしたので、コカコーラの自販機しか無いときは飲まないか一歩譲って「エメラルドマウンテン」(味は良いのだが私には甘すぎる)を買うかどっちかでした。よくそんな姿を友人は「変わっている」と言っ ていたものです。
 また、レギュラーコーヒーでは「モカ」が好きでもっぱら「モカ」か「ブルマンブレンド」を飲んでいます。インスタントやスティック・モンカフェなどはほとんど飲みません。(でもコーヒーは自分で入れることが多いです)旅先で知らない喫茶店に 入る時もなるべく「コーヒーメーカーの看板」のあるところに入るようにしています。(妻はその中でもメーカーを選んでいる)
   さて、現在の缶コーヒーのお気に入りは「ガティ(ポッカ)・デミタス(ダイドー)・ワンダ(アサヒ)MR(ポッカ=廃番)」といったところです。みなさんもお試しください!


その8・「 駅前雑居ビルアクセス分析 」

(11,9,30)

*人気のページはどこ?*


 おかげさまで開設当初目指していた「1万アクセス」に到達し、ある意味でほっとしているところですが、今回はCGIを使用した内部調査を公表いたします。  「駅前雑居ビル」には現在7アイテムが存在しているのですが(掲示板は除く)人気度ランキングは100人がアクセスした場合TOPページから飛んでいく割合は「1位 高校野球先読み倶楽部 28.6%」 「2位 管理人室 25.8%」 「3位 フランスワイン研究会 17.2%」「4位 掲示板の作り方 13.4%」「5位 非常口 8.8%」「6位 田舎映画館 8.7%」「7位 エッセイ集 2.7%」などとなっております。   一つの目標として「強いページを作る」という目標があったのですが、たいてい初めて来た人は「管理人室」のような作者のプロフィール的なページを見ますよね。だから「管理人室」のアクセスが上がることはわかるのですが 作者としてはそのページだけでお帰りになられてはさみしいわけで、なんとか「管理人室」を越えるアクセスのあるページを!と思っていたので1位が高校野球になったのは非常にうれしいことです。また、この高校野球のページは 本当に「季節物」でして甲子園で試合がある春と夏に集中してものすごいアクセスがあります。(内容もかなりマニアックではあるが・・)今後は「映画」のページをもう少し整理してアクセスが増えるように内容を充実させていきたいと思っております。 それに「フランスワイン研究会」ももうじき90本近くになりますので、もう少し検索しやすいようになおしたいと思っております。今後ともよろしく!


その7・「I like 高校野球」

(11,8,16)

*なぜ高校野球ファンになったのか?*


 高校野球、好きな人は熱狂的でそうでもない人は地元校の結果すら興味がないようです。私の場合は高校野球だけでなく、高校サッカー・高校ラグビー・高校バレー・高校バスケット・高校駅伝までを守備範囲にしています。 中でも高校野球と高校駅伝(12月)は「その年の全国大会出場校をすべてあげよ」なんて問題が出ても100点がとれるほど入れ込んでいます。
高校野球が好きになったのには3つ理由があります。1つ目は「野球が小学生のころから好きだったこと」(もちろん阪神ファン)2つ目は「学生時代バスケットをやっていて、3年生最後の公式戦の最中に「毎日練習をしてきたけど このメンバーでプレイするのはこれが最後なんだ」と感じた経験」3つ目は「自身の高校時代に母校の公式戦の応援にバスまで借り切って応援に行ったこと」などですね。
甲子園に来ている高校生がみんな模範的な高校生だとは全く思っていません。現在は野球留学生が多い高校が甲子園に出てきているという事実もあります。ただ、昨年の横浜ー明徳・横浜ーPL・宇部商ー豊田大谷など、見ている者を唸らせずにはおかないような 信じられないドラマを見せてくれるのも確かです。私たちはその感動を日々の生活に生かしてこそ高校野球ファンと言えるのではないでしょうか?そう言う意味では「高校野球は芸術」かもしれません。たぶん今年もほとんど全ての試合をTV中継で目撃する予定です。


その6・「地元青年による北陸旅行2」

(11,6,20)

*修学旅行よりまじめな旅行?*


1日目に早く寝た効果もあってか、朝7時に起床してもう一度温泉へ。8時の朝食では普段は「食パン1枚」なのにご飯とみそ汁をお代わりするほど食欲が戻ってきました。 9時に仲居さんに見送られて宿を出発(宿は次第点だった)まず「那谷寺」を見学。私は3回目だったけど今まで見学しなかった「庭・宝物殿」などを初めて見学。緑が豊富で秋に来たらさぞ紅葉がきれいでしょう。 次はメンバーの推薦が強かった「自動車博物館」小松市にあります。これがまた世界のクラシックカーが勢揃いしていて予想以上の好印象。またトイレも「世界のトイレ」が並んでいて面白かったです。お土産には父の乗っている「箱スカ」のミニカーを買いました。  ここから無謀にも「能登方面」に向かい「羽咋市の千里浜海岸」を目指しました。おかげさまで下調べが完璧で最短距離を最短時間で走り抜きました。なんと30度を越す熱さで海岸には水着の人たちも大勢いました。 メンバーの一人は「水着のネーちゃん」を車中から目を皿のようにして探していました。また、偶然「サンドアート」フェアが開催されていて(入場無料) 「武蔵丸関・鈴木その子・ウルトラマン」などなどいろんな砂の像が並んでいてユニークでした。昼は羽咋の駅前の割烹でとり一人3500円ほどの大盤振る舞いでした。ここを出たのが2時過ぎ。これで帰る?と思ったらここから金沢市に戻り「兼六園」 に行きました。ここがなんと「無料開放日」でただで見学できるラッキーさです。(幹事の良さでしょうか?)そこでまた大量にお土産を買い込み帰路に就きました。(私は奥さん孝行に「九谷焼の抹茶茶碗」を張り込みました。あと中田屋の「金つば」です。) 4時40分ごろ兼六園を出てなんと6時30分には糸魚川にいました。(すごい速度!)途中で夕飯を食べ9時頃帰宅となりました。旅程650キロほどの「見学中心のまじめな旅行」だったことがこれでおわかりいただけて事と思います。 2日目は鼻水もかなり収まり比較的普段通り行動できよかったです。天気にも恵まれ2日間楽しんできました。


その5・「地元青年による北陸旅行」

(11,6,14)

*奥様方!偏見をもたないように!*


まだ風邪が直りきらない中、幹事をしていた団体の旅行の日になってしまい、悪化しないよう祈りながら出かけました。
メンバー7人の1泊2日福井・石川方面旅行で会費は1人2万8千円。宿泊は山代温泉「加賀屋宝生亭」というところです。メンバーは全員男性で28才から45才まででした。 しかし、困ったのは「山代温泉に男だけで旅行」と書くと、大多数のちょっと知識のある奥様方は「あやしい!」「なにしに行くんだか?」という反応を示すことです。みなさん!ご自分の夫をもっと信じてあげましょう!  さて、日程を簡単に書くと 8時出発(会長のワゴン車に7人)ー11時糸魚川(蒲原沢の土砂災害慰霊碑に手を合わせてきました。)ー12時東尋坊・昼食(私は2回目でしたがすっかり観光地化していました。駐車場無料をだしにした 土産物屋同士の客引き合戦はなかなかすごかったです。昼食は「ビックリ天丼1300円」)ー3時永平寺(このころ鼻水がものすごく、具合も悪かったです。だから仏様には「風邪がひどくなりませんように」とお祈りしました。) 5時宿着(風呂はガマンして宴会まで横になっていました。)ー6時宴会(歌の上手なさゆりチャン・えりかチャンと2人のコンパニオンさんを呼んで、歌に芸にとてもここでは書けません。)ー10時温めのお風呂にゆっくり入って暖かくして 床につきました。なんとか足手まといにならずに済んで内心ほっとしました。 幹事はつらいよ!2日目につづく。


その4・「デートの意気込み」

(11,5,27)

*若いときの初々しさ*


いまから20年ほど前、大学生だった私が帰省して長野の町中をブラブラしていたときのことです。街中にダOエーという百貨店風スーパーが ありますが、店に入ってエスカレーターに乗りました。私の前には3,4才ぐらい年下の見るからに「初デート風」のカップルが居りました。 男性はともかく女性の方は目がキラキラ輝いていて(私はいつも女性しか目に入らないもんで)男性に「ぞっこん」という感じでした。服装もスーツとスカートでビッシッと決めていて りりしい感じでした。 さて、エスカレーターの前に乗った二人をほほえましく見ていたところ、ふと私の目が女性の足もとに向きました。(登りのエスカレーターだったもので)すると 今日の日初めて履きますという感じのヒールの高い靴はともかくそのかかとのあたりに「バンドエイド」が両足に貼ってあったのが目に入りました。ストッキングの下ですが靴の踵が当たるあたりにビシっと 貼ってあります。これを見た私は、彼女の「このデートだけは、靴擦れなんかで足を引っ張られてたまるか!」というような「気迫」を感じてしまいました。
 だれでも人生には1度や2度の「気合いの入ったデート」があると思います。そのころ20才前後だった私は、その彼女のバンドエイドになんか感動をしてしまって 20年以上たった今でも、ハッキリと脳裏によみがえるのです。


その3・「幸せは心の中にある」

(11,5,14)

*人生をどう楽しむか*


40年近く生きてきて、最近こういう結論にたどり着きました。自分はどんなときに「幸せ!」と感じるか。「おいしいケーキを食べているとき」 「夕食時においしいワインを飲んでいるとき」「娘と遊んでいるとき」「奥さんの機嫌がいいとき」現在はこんなところかな。  人生を「プラス発想」で楽しむには「小さな喜びに目を向けて、その状態に感謝出来るかどうか」だと思います。そうすると毎日の生活所々に 「よろこび」が感じられ、その時々を「たのしい」と感じられるようになります。  たとえば、最近朝、庭の草むしりを担当していますがはっきり言って「草取りはきらい」です。しかしそこで「10分間」だけに限定してそのかわり 毎日続けることにしました。すると10分だけならいやにならないし、また1度取ったところを1週間後に観察すると「草の勢力範囲」が変化することに気づきました。 それによって「油断すると草ボーボー」になる理由がわかりましたし、「草も生きるのに必死なんだ」と感動さえ覚えました。
 ちょっと「小市民的」な生き方かもしれませんが、小さな事に幸せを感じられる生き方をしていきたいと思っています。


その2・「熱さまシートの功罪」

(11,2,28)

*発熱時に使用する、おでこに貼れる冷却シートのより長時間化が実現*


最近は良いものが出来ました。家でも何回か使用した、おでこに張って発熱を冷却する薄いシートである。 しかも、発売当時は1時間くらいしか持たなかったのが、今では2時間以上冷却効果が持続するものが開発されたらしい。  このニュースだけ見ると「良いこと」ばかりのようだが、わたしはこの開発のおかげでマイナス効果があるのではないかと危惧することがある。  昔は、発熱の時は「氷水と絞った手ぬぐい」または「みずまくら・氷嚢」と相場が決まっていた。子供の頃、よく発熱をした私は今でもあの「気持ちよさ」 が懐かしくなることがある。しかし、「気持ちよかった」のは器具だけではなかった。夜中に何度も手ぬぐいを換えてくれた「親の愛情」が発熱で具合が悪い中でも 「ありがたいこと」として感じていたような気がする。それが何回かあって「信頼」に繋がっていったのではないだろうか?おかげで私はこんな良い子になりました! (冗談です)
 現在は仕事を持っている母親が多いから、徹夜明けで出勤となるとかなり大変だと思うが、シートを寝がけに一回ピタッと貼ってそれでおしまいでは、なにかさびしい 気がする。考えすぎかなあ?


その1・「だんご3兄弟」大人気!

(11,2,27)

*くしにささってだんご、みっつならんで、だんご、しょうゆぬられてだんご、だんご三兄弟。*


この歌詞で始まるのが、NHK教育TVの「おかあさんといっしょ」で挿入歌の一つとして流されていた「だんご三兄弟」である。  家には一歳半の娘がいるのだが、他の曲には反応しなかったのが、この曲がかかるときだけうれしそうに立ち上がり、なんと 「合いの手」まで入れ始めた。(歌詞の合間に「たーたん!」と叫ぶというもの)
娘の様子を見るに、ヒットの要因は「タンゴ」のテンポが子供のテンポに合う、アニメが面白い、曲調がメリハリがあって印象に残る、 等が考えられそう。最初は家だけのお気に入りかと思ったら、TVで話題にでるは(ごきげんよう・麻木久仁子さん、香坂みゆきさん) 民放FMでもオンエアされるはと、俄然注目されてきたらしい。ご存じないみなさんはAM8時35分からの放映を録画しておきましょう。 (9時までの25分間)しかし毎日流れているわけではないのであしからず。
特別たれこみ・・・さんなんだけが「鼻」が上向き、ちょうなんとじなんは横向きだよ!